料理家cayocoさんの食を人をつなぐ旅「food letters」春・福岡編、1日目の様子はこちら
保存食のヒントを見つけるのは難しい?
この旅の目的の一つは、訪れた土地で出会った食材で保存食をつくり、次の土地へと届けること。保存食は違う土地へ持っていくと、旅先の香りや作った人の温度が込められた手紙の役割に。そんな“food letters”をつくるために、まずは町歩きから始めます。
旅の2日目。朝ごはんをみんなでいただいた後は、歩いてすぐの漁港へ。
午前9時過ぎ、そこには漁を終えて網を片付けている漁師さんや、干物づくりをするお母さんたちの姿が。無駄のない動きで淡々と魚を処理していく手さばきを興味深そうに見つめるcayocoさん。
「カラスとの知恵比べよ!」と笑いながら教えてくれたお母さんが干していたのは鯵。保存をするために干物にするわけではなく、あくまで旨味を増すために一夜干しをするとのこと。一年中新鮮な魚が捕れる津屋崎では、保存食のヒントを見つけるのは難しそうな予感。
津屋崎らしい日常の光景の一コマ
漁港の次は、古い町並みが残りつつも、新しい民家も健在する津屋崎千軒の町を歩きます。「津屋崎はバランスがいいですね」。cayocoさんは昨日と同じ言葉を再認識したかのように、繰り返していました。
歩いている途中、「あら、あんた何しよっと?」と行き交う人に話しかけられるアテンドの角さん。ちょっと見ていく?と誘われるその後ろ姿に私たちはついて行きます。
普段はシャッターが閉まっている旧薬屋の中を見せていただいたり、古民家カフェを見学させていただいたり、気づけば一緒に歩いている人たちの人数も増えて賑やかに。
町を歩くと、誰かに出会う。そこから何かが膨らんでいく。それは津屋崎らしい日常の光景の一コマでもありました。
侍のような佇まいの農家さんの元へ
お昼休憩を挟んだあとは、夕食用のお米を頼んでいた農家の花田智昭さんの畑へ。津屋崎から車で15分ほど離れた奴山という場所で、花田さんは無農薬のお米づくりをされています。
ハッとするほと澄んだ目と低くて太い声。花田さんの佇まいはどこか侍のような凛々しさが。この時期の畑は収穫できる野菜はないそうで、苗床を案内してくださいました。
ブロッコリーに「よかったね。」
ぬくぬくと気持ちよさそうに眠っている猫の横には、かぼちゃ、九条ねぎ、ブロッコリーなどの苗がずらりと並びます。
「かわいい」。そう言いながら、優しい目で見つめるcayocoさん。苗はいわば野菜の赤ちゃん。小さな葉っぱを懸命に広げる姿は、人間の赤ちゃんにも通じるような健気なかわいさが。
苗床の見学を終えて、お米を受け取った私たちに、花田さんはセロリとじゃがいもとブロッコリーをどっさりと分けてくださいました。
「cayocoさんは、素材の声に寄り添ってごはんをつくるんですよ」と花田さんに伝えると、侍のキリッとした目が一瞬で柔かくなりました。そして、手にしているブロッコリーを見ながら、小さな声でこうつぶやいたのです。
「よかったね」。
まるで人と接するように、真面目に丁寧に
「あれは間違いなくブロッコリーに言ってましたよね」。
その日のことを振り返った時、cayocoさんは嬉しそうにそう話してくれました。小さなひと言は、どうやらcayocoさんの心の中でも響いていたようです。
まるで人と接するように、真面目に丁寧に。野菜に対しても、心を大切に置くこと。花田さんも、cayocoさんも、職業は違うけれども同じ姿勢を貫いていて、「ああ、だからあんな目をしているのか」と私は腑に落ちました。
cayocoさんと初めて出会った時に、吸い込まれるように惹かれた目。曇りも濁りもない、その澄んだ目は、奴山の里で真摯な畑づくりをする侍と、重なるように似ていました。
写真:浅田剛司
<つづく>
この特集の目次
- 料理家cayocoさんの食と人をつなぐ旅 第1話「かわいい」と感じる目と心。そこにはいつだって愛がある。
- 人と同じように野菜に対しても、心を大切に置くこと。
- 旅先で心に沁み渡る、一日が穏やかに終わることの尊さ。
- 知らないって寂しい。知るって嬉しい。だから人は優しくなれる。
- 旅の偶然の出会いは、なんでもない風景を忘れることのない景色へと変える力がある。
- 料理はこんなにも人の心を伝えてくれる。
- 人が人を想う心は見えないけれど、本当はこの世界に溢れている。
お知らせ
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