そこは、いろんな人がごちゃごちゃに「なれる」場所。人とつながるとこんなに元気になれることを、訪れた人に思い出させてくれる。
料理家cayocoさんの食と人をつなぐ旅「food letters」、秋の旅の後半は長野県阿智村の森田自然農園を訪ねました。
多い日には30人もの人が集まる!
茗荷がふくふくと実り始める9月上旬。約2週間に渡り、茗荷の収穫を手伝うために、森田自然農園には入れ代わり立ち代わり人がやってきます。入り口には人の出入りと部屋割りが書かれたスケジュール表が。多い日には30人もの人が集まることも。
一年前、朝昼晩のまかない作りをするため、cayocoさんはここに呼ばれました。阿智村はどんな場所なのか尋ねると、悩み込んでしまうcayocoさん。「一言で表現するのは難しいんです…」。その言葉の意味は、その場所に身を投じてはじめて実感できました。
つながりがつながりを呼ぶ「茗荷祭り」
茗荷畑を管理されている森田修史さん、真弓さん夫妻は、7年前に自給自足の暮らしを目指して東京から秦野に移住をしました。その後震災が起こり、土壌の安全性の高い場所を求め、阿智村に移り住みます。
「この場所は標高888メートル!末広がりなんですよ~すごいでしょ~!」とはちきれんばかりの笑顔で教えてくれた真弓さん。昔演劇をやっていたという真弓さんの声は、受け手に言葉以上のエネルギーを渡してくれるほどいつも元気いっぱい。
真弓さんのお話によると、茗荷づくりに適したこの土地で、長い間続けられていた茗荷畑をお二人は引き継ごうと決めたそうですが、畑の広さは二人の手では追いつけないほど。そこで収穫を手伝ってもらうために、しばらく会っていない友人に声をかけることになったそうです。
回を重ねる度に友人の友人がやってきたりと、つながりがつながりを呼び、現在集まる人たちの7割はリピーター。こうして9月の2週間だけ、一斉につながりのある人が集まる「茗荷祭り」が生まれました。
原点はメキシコの喜びを分かち合う暮らし
真弓さんの普段の姿は、少人数の小中学生対象のフリースクールのスタッフ。茗荷祭りの期間も仕事に通いながら、集まる人たちの切り盛りをします。そんなフル回転の中、現在の仕事と茗荷祭りの原点にもなっている、8年前のメキシコの体験を話してくれました。
「東京で働いている時、歩いているだけでもクラクラしてしまうほど、心も身体もボロボロになっていた時期があったんです。そんな時、メキシコの特別支援学校で2年間働くことになって、ものすごく元気をもらって価値観が変わりました。
メキシコの人は日常でシェアすることが多くて、毎食家族でごはんを食べるし、毎週誰かしらの誕生日やパーティに行ったり、人が集まって喜びを分かち合うことにお金を使うんです。人と人が当たり前につながっていて、いろんな人とつながると元気になれるんだって。
自分がボロボロだった時、自然いっぱいの公園が唯一休める場所でした。公園には平日なのにサラリーマンがベンチで寝てたりホームレスがいたり、子どもやお母さんが遊んでたり、全然違う生活をしている人たちがそのまんまの自分でいられて。いろんな人がごちゃごちゃになれるっていいなって思ったんです。
だからここも色んな違いのある人がほっとして集まれる自然いっぱいの公園のような場所になれたらいいなって思っています。違いがあると役割って見えてくるから。そうすると自分の生きている意味や存在感を感じることができると思うんです。」
役割が決まっていないから、役割が決まる
私たちが阿智村に到着したその日は、茗荷祭りの常連の方や、修史さんの音楽仲間など、2歳児から定年退職を迎えた世代まで、男性も女性も、国籍もばらばらの人たちが集まっていました。
これは真弓さんのいうまさに「いろんな人がごちゃごちゃになれる場所。それでいて普通にいれる場所」。
名古屋からやってきた常連の大澤さんに、なぜ何度も足を運ぶのか、その理由を尋ねるとこんな答えが返ってきました。
「損得勘定でいうと損の方が大きいかな。交通費はみんな自腹だし、年だから作業は結構しんどい。でも毎回まるで旧知の仲のような一時をともにし、触発されて元気がでるんですよね。還暦過ぎての新しい出会いは、お金で買えませんし。その出会いから自分を見直し、また再確認し、発奮して帰る。そんな貴重な場は他にありませんから。」
こう話してくれた大澤さんは、ごはんの準備や片付けの時、いつも一番はじめに動き出す気遣い名人。名古屋に帰ってしまった途端に寂しくなってしまうような存在感のある方でした。滞在中、集まった人たちは茗荷収穫だけでなく、掃除が得意な人は掃除をし、子供の面倒は手の空いている人が代わる代わるみて、片付けも気づいた人が動く。
役割が決まっていないから、役割が決まる。その心地よさを全身で感じるような生活が茗荷祭りにはあるのです。
集まった人と家族のようにつながる
毎朝6時頃に起きてスタートする朝ごはんづくり。午前の収穫を終えた後の昼ごはん。温泉に入ってからみんなで囲む夜ごはん。cayocoさんは台所でフル稼働。そんな台所には、絶えず誰かがいるような状態。
「何で味付けをしているんですか?」「どうやって作ったんですか?」
台所でも食卓でも、いろんな人がcayocoさんに尋ねます。
「料理に集中する感じではないけれど、のんびりおしゃべりをしながら自宅で作っているような感じがします。ただ人が集まっただけでなく、みんなで収穫した茗荷という共通項があるから集まった人と家族のようにつながって、結束力があるのかもしれませんね。」cayocoさんはごはんづくりの合間にそんな話をしてくれました。
表向きだけでなく、言葉を超えた付き合いになる
収穫のために人を集める方法は、例えばWWOOF(ウーフ)と呼ばれる、有機農場を核とするホストと、そこで手伝いたい、学びたいと思っている人とを繋ぐシステムがあります。農作業労働と宿泊食事の交換をお金抜きでやる、というその手法を真似ながらも、一般に公募せずに、全員個人的なつながりで募集するという形を選んだ理由を修史さんは教えてくれました。
「茗荷の収穫が全てを支えていて、お金が関係ないわけではないけれど、この場所にいる間はお金抜きにしたくて。
お金のやりとりが入ると、一般の社会の難しさ、立場の関係がここに入り込んでしまう。これだけやったのだからこれくらいもらえるはずだ、とか、これだけ払ったのだからこれくらいやってもらうべきだ、とか、人それぞれ違う感じ方や取り組み方がある中で、共有できない心の部分が増えてしまう。
お金抜きにすると、社会でそれぞれが必然的に背負わされている立場を離れて、純粋に人間同士としてプライベートなつきあいになる。そこからしか生まれない関係というのがあると思う。
だから集まった人をちゃんともてなしたいし、収穫してくれたのに一言も会話しないのは他人行儀でさみしくなっちゃうから、必ず共通の友人を介してつながりのある人だけを呼んでます。
僕は元々一人っ子なので人付き合いが上手じゃないし、放っておいたら人と関わらないんですけど、茗荷祭りの期間は集まった人と表向きだけでなく、言葉を超えた付き合いになる。もうそれは、『生活』だから。朝起きてごはん食べて収穫して、ってやってるとなぜか仲良くなるんです。」
普段はジャズ・サックス奏者として活躍している修史さん。収穫には音楽仲間も数多く参加していて、阿智村に到着した日の夜は、サックス、ギター、ベースによる即興のミニライブが。プロと呼ばれる人たちの音色と合わせて、楽しそうに身体を動かす子供たち。音楽を楽しむってこういうことなのかと、大きなホールで壇上の演奏を椅子に座って聞くのとは違う豊かさを感じました。
人ってこんなに素直に心を通わすことができたっけ
阿智村の2日目。あいにくの雨で畑へ向かうのは男性陣のみ。女性陣は掃除や片づけ、子供をみることに。
走り回る子どもたちの背中を追いかけていたときのこと。アメリカからやってきたサチさんは、19歳から離れた日本になぜ戻ろうと思ったのかを話してくれました。
家の目の前で、長靴を履き空き缶をつぶしていたときのこと。東中野でジャズバーを営むトシ子さんは、持病を乗り越えて、大好きだったジャズに関わる仕事に進むまでの話をしてくれました。まだ出会ってから数時間、数日にも関わらず、どれも心の大切な部分の物語。
たぶんそれは思い切って心を開いて話そう、という覚悟が伴うものではなく、ごくごく自然の流れで話しただけ。でもそれは簡単な自己紹介だけでは伝わりきらない、その人の輝きのかけらを受け取ったような。
あれ、人ってこんなに素直に心を通わすことができたっけ。
数日過ごしただけで家族がぐんと増えたような、共に「生活する」ことでこんなにも人と人はつながりを感じられる。SNS上でいいねをたくさん集めるよりも、ずっとずっと心の奥底から湧き出てくるエネルギー。
阿智村のごはんはどれも本当に美味しかった
密着取材の最終日。cayocoさんはこの先も数日滞在するということで、私は一足先に東京へ帰ることに。収穫中のみなさんにさよならを伝えたあと、お昼ごはんの支度があるというcayocoさんと共に、森田さん宅へ荷物を取りに戻ります。
「まいさん、ちょっと待っててください。」そういうと、cayocoさんは家の奥に一旦入り、3分ほどすると笑顔で出てきました。
「よかったらバスで食べてください。」
そう言われて手渡されたのは、海苔の巻かれた小さな三角おむずびが二つ。まだほわっとあたたかい。
阿智村のある日のお昼ごはんを囲んでいた時のこと。午後出勤だという真弓さんが「いってきまーす!」と出ていく姿に、お昼ごはんを食べはじめたみんなが「いってらっしゃーい!!!」と声を合わせて送り出す風景がありました。こんな風に送り出されたら、どんなに嬉しいだろうと思わず羨ましくなってしまうほど。
この場所から送り出される人は、家の主でも、昨日きたばかりの人でも、みんな必ず愛をもって送り出される。帰りのバスの中で食べるおむすびは、阿智村で過ごした2日間分の愛が詰まっていて、思わず目に涙がじわり。
「阿智村のごはんはどれも本当に美味しかった。」cayocoさんは、この場所で過ごした日々を眩しそうにそう振り返ります。決して一人だけでは、心が喜ぶ美味しいごはんは作れない。作る人も食べる人も、その場にいる人たちみんなの心で、小さなおむすびがびっくりするほど美味しくなるのだから。
写真:浅田剛司
<秋の旅・完>
この特集の目次
- 「自分が幸せにできる人は見渡せるくらいでいい」長野県佐久の星の坊主さま・こじょうゆうやさんに聞いた、ごきげんな畑の話
- 集まった人たちの心でとびっきり美味しいごはんが生まれる。阿智村の森田自然農園の「茗荷祭り」。
お知らせ
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