料理家cayocoさんが、春夏秋冬の旅を通じて人・食材・土地と出会い、その土地の保存食をバトンに食と人をつなぐプロジェクト「food letters」。夏の小豆島への旅の記事です。前回の記事はこちらからご覧ください。
醤油蔵はまるで生きものの中
「調味料の生まれる場所を知る」をテーマにした小豆島の旅の二日目は、昔ならではの手法である木桶仕込みの醤油づくりをされているヤマロク醤油さんの蔵見学へ。説明をしてくださる五代目山本康夫さんとの待ち合わせの入り口に立っていると、すでに甘い香りが漂ってきました。
黒いTシャツに、腰には商紋が印字された紺色の前掛け、白い足袋に草履姿で現れた山本さん。スタスタと足早に進むその後ろ姿に慌ててついていくと、早速蔵の中へと案内されました。
扉の中に入った瞬間、全員が「うわ~!!!」と驚きの声。「生きものの中にいるみたい」とcayocoさん。人間とは違う生きものが間違いなくそこに存在していることを、誰しもが肌で感じ取るほどの迫力。けれど暗がりの中見えているのは、高さ2メートルほどの木桶のみ。
深い森のような神聖な空気
「桶の表面についているのは、乳酸菌や酵母菌といった菌です。ずっと木桶を使い続けていると桶や柱、梁に菌が住み着くんです。」
山本さんの説明に耳を傾けながら蔵の中を見回すと、桶の表面や蔵の壁、柱にびっしりと苔のような植物のようなものが、何層にも重なっていたり、ぶらさがっていたり。人間の命よりはるかに長い年月を積み重ねている菌に包まれた空間は、深い森のような神聖な空気が流れます。
木桶仕込みの醤油づくりの約半分は小豆島
「うちはいい加減な家系なんで、いつから醤油をやっているか記録がないんですけど、だいたい150年くらいです。」そう笑いながら説明をする山本さん。
その顔がふと真顔になると、力強くこんな話を教えてくれました。「日本の木桶の醤油づくりは今全体の1%を切っています。99%はタンクで作られています。そして木桶仕込みの醤油づくりの約半分がこの小豆島に存在しているんです。」
和食に欠かせない味噌もみりんも全て昔は木桶で作られていた。そして現在、その手法はほぼ全滅。最も多く残っている醤油づくりで1%とのこと。
「時代としては仕方なかった」
「木桶を使わなくなる理由は、手間がかかるからでしょうか。」cayocoさんの質問に、山本さんは丁寧に日本の調味料の歴史を話してくれました。
戦後の日本の統制を任されたGHQは、醤油という調味料が日本人にとって欠かせない食材であることをわかると、間違いなく需要が足りなくなると判断。木桶の使用をやめて工場でつくるよう指示をします。工場での醤油づくりの約80%はもろみを使っていないとのこと。購入した醤油に塩やアミノ酸液、タンパク質、時には甘味料等もいれてタンクの中で中和させます。こうして、新しい製法による醤油が日本のスタンダードとして一気に広まったそうです。
「時代としては仕方なかった」。山本さんはそう淡々と話しながら、「うちはタンクを買うお金がなかったから、木桶を仕方なく使い続けただけなんです」とニヤリ。
人間は醤油は作れない
全て菌に任せている
そんなヤマロク醤油の製造は山本さん一人で行っているとのこと。「大変ですね」という私たちの声はなんのその。
「人間は醤油は作れないんです。私は手伝っているだけ。全て菌に任せているんです。」
「任せる」。それは自分の仕事を謙遜するわけでもなく、事実を語るだけの淡々とした言葉。けれども、そこからは謙虚で慎ましく、愛情と呼ばれるものも滲み出ているような「職人」の顔が見えます。それは、旅の一日目にお会いしたオリーブ園の山田さんの姿にも重なりました。
ホンモノの職人は、寄り添う心でものを作る。もちろん独自の研究の成果もあるだろうけれど、この心が映っているのかも、と。
常識の真逆でもできる、
うまい醤油づくり
醤油づくりの門を叩く人にとって、はじめに出会うのは微生物の世界を学術的に紐解く「発酵学」。ところが山本さんは「勉強が嫌いだったから、全て現場で見ながらトライ&エラーを繰り返してきている」とのこと。先代のお父様は全く教えてくれないという姿勢だったことから、他の醤油屋さんから教えを請うてきた山本さん。当主となって四年目、混ぜ方や原材料の配合比などを全て一新することを決めます。
その内容は、発酵学による仮説としては決してうまくいくはずがない方法。山本さんの言葉を借りれば「アホみたいなこと」。そんなありえないと言われる作り方で、旨味成分の高い醤油が見事出来上がったのです。
「常識の真逆ですけどやり方によってはできるんです。私は発酵学を信じていませんよ。」
この日何度目になるのか。またしても「え~!?」と驚き叫ぶ私たち。その姿をちょっと喜ぶように、山本さんの説明は加速していきます。
エースを追い上げるNo.2の桶
はじめて知る醤油づくりの世界を目の当たりにしながら、クラクラするほど衝撃を受けている私たちを前に、山本さんの説明のボルテージはさらに上がっていきます。
「菌が発酵している時はボコボコと音がするんですけど、見学の人がやって来て30秒ほどすると音が大きくなるんです。菌たちは人が来るとがんばるんですよ。」
まさか、菌が人間の動きを読み取っているなんて。にわかに信じがたい事実を裏付けるのが、エースとNO.2と呼ばれている桶。
入り口近くに位置するこの二本の桶は、観光客の目にたくさん触れる場所に立っています。年間2万人が訪れるこの蔵。目に一番入りやすい場所に立っているNO.2は「わ~!」という歓声を浴びているせいか、最近エースに追い上げてきているほど、そのできが良いとのこと。
逆に観光客に目に触れにくい場所に立っている桶にも案内されると、その姿の違いは素人目でもわかるほど。存在感の強さがエースたちとは違うのです。心の中でそっと「あなたもがんばってね」とつぶやいた声は、伝わっていますように。
木桶への思い入れが違う分だけ、
醤油は美味しくなる
山本さんは当主を担ってから、日本で唯一残る木桶職人へ新桶を九本発注します。「戦後初だと言われました。桶は百年以上もつ。だから自分の桶は自分で直せよ、と言われたんです」。
木桶づくりは三人いないと組めないもの。そこで山本さんは大工仕事をしている同級生を誘い、全行程を学びに修行へ向かいます。今まで手にした新桶は十四本。一年目は買った桶で、二年目は師匠から習った桶で、そして三年目以降は自分たちだけで作った桶で醤油をつくってきた山本さん。そこには大きな違いがあると言います。
「同じ原料、同じ材料で作ったんですけど旨味成分が違うんです。思い入れが違う分だけ、旨味成分が上がっているんです」。
するとcayocoさんがこんな質問を投げかけました。「逆に嫌な気持ちも伝わるんでしょうか?」
「絶対に味は変わります」。そう言い切る山本さんは、発酵を管理する大切な作業は決して他の人に任せず、必ず自分の手で行っているとのこと。ちょっとした心のゆるみは必ず伝わってしまうものだから。それは観光客の歓声を受けて「勝手に良くなっている」菌たちの姿で裏付けされています。
木桶の醤油づくりを1%から2%へ
桶を作ったり、一人で作業をしたり、傍からみるとそれらは想像を超える大変な仕事。けれども「しんどいと言ってられない」と山本さんは言います。
今のままだと、木桶づくりの技術は2020年には消え、その50~100年後には本格的な和食の調味料が日本から、この世界から消えてしまう。子どもが生まれてからその事実に現実味が帯びてきた山本さんは、こう考えます。
「木桶の醤油づくりを1%から2%にしたら、木桶は3000本必要になる、つまりは職人を育成できる。だから、醤油屋さんにこう言うんです。『1%を取り合うのはやめませんか?競うのは品質のみで、1%を2%にするために一緒に桶を組みませんか?』と。」
楽しいは、生きる上で強いエネルギー
山本さんが声をかけて始まった桶づくりは、現在では醤油づくりの担い手だけなく、料理家や酒造メーカーも集まったりと、賑わいを見せているよう。桶づくりの現場は、誰も指示をせず自分ができることを各自やろうとするので、自然とまわっていくとのこと。そして人と人が出会い、新しい商売が生まれることも。
「桶をつくるのも面白いんです」。その笑顔からは、沸騰するお湯のようなグツグツとしたエネルギーが見えました。楽しい、って生きる上でなんて強いエネルギーなんだろうと。
新桶が並ぶ新しい蔵の方へも案内していただくと、がらりと違う空気感が。菌がびっしりと張り付いていた先ほどの蔵とは違い、光も射してもっと親しみやすくさっぱりとした雰囲気。
山本さんいわく、この蔵も息子や孫の代にはびっしりと菌がつくとのこと。梁にうっすら白い菌が見えます。目に見えない浮遊菌がどうやら動いているよう。
桶づくりの時、山本さんは奥さまに内緒で「長男、次男のために」と木に書いたのだと教えてくれました。何十年後かわからない。けれどその字を見た時、息子さんたちは何を想うのでしょう。
次の世代へとバトンを繋ぐこと
今のこと、自分のことだけを考えないその姿勢を山本さんはとことん貫きます。「自分のところだけが売れてはだめ。全体が売れる仕組みがいる。だから例えばラーメン屋さんに卸してほしいと頼まれても、他の醤油屋さんも紹介します。」
小豆島で木桶仕込みの醤油づくりをする他の蔵の魅力についても、同じ熱量で語る山本さん。「おいしいかどうかは、結局好みだから。」どこかで同じセリフを聞いたような。そう、昨日のオリーブ園の山田さんと全く同じ言葉。
同業他社を否定しないこと、長期的な視野で業界を見据えること、次の世代へとバトンを繋ぐこと。なんて寛容で壮大な挑戦なんだろう。
暗い蔵を出ると、現実世界へ戻ってきたような、どこかへトリップしていた気分。蔵見学にあたって、事前にcayocoさんがメールで約束していたのは30分程度。けれども時計が指す針は、軽く2周は回っていました。
日本人にとって、醤油は食生活で欠かせない調味料。同じ日本人として私たちも、未来へつなぐ小さなバトンを手渡されたよう。そして今、ここにいるあなたにもこのバトンを渡します。
熱気と緊張感が漂う台所
醤油蔵の見学を終えcayocoさんたちと一旦分かれた後、再集合場所として指定されたのは「タコのまくら」という名の海辺のカフェ。今夜はこの場所をお借りして、お客さまをお招きした夕食会を開きます。
今回の旅、実はcayocoさんと写真担当の浅田さんの他に同行者が3人。cayocoさんが暮らす西荻窪で出会った友人の野田亜美子さんと中村泰子さん、そして妹のかずみさん。
山盛りのお野菜のおすそわけを手にしたcayocoさんたち一行がカフェに到着すると、急いで夜ごはんの支度が始まります。
狭くはないはずの台所、クーラーも入って涼しいはずなのに熱気と緊張感が漂い、エネルギーの渦にのぼせそうなほど。
人と人が共に料理をするエネルギーはかけ算
cayocoさんはいつもより少しキリッとした表情で、それぞれに指示を出しながら、途切れることなく動き回ります。
料理を手伝う亜美子さん、泰子さん、りっちゃんは飲食の経験があるからか、その手つきはプロ並。誰一人として、無駄な動きがありません。料理をする時の女性のチームワークは、なんて気持ちが良くて格好いいんだろうと、思わず見とれてしまいました。
まるでサッカーの美しいパスを見ているような感覚。ああ、きっとこれは人類の長い歴史を支えてきた力なんだろうなあ、なんて。少し大げさかもしれませんが、人と人が共に料理をする時というのは、足し算ではなくかけ算の爆発的なエネルギーが生まれることを教えてくれた、この日の台所風景は心に焼き付いています。
料理を通して旅のバトンが繋がっている
夕食にやってきたのは、この日cayocoさんにお野菜を山盛り分けてくださったWWOOF(ウーフ)を利用するさなえさんと参加者の方たち。WWOOFとは、有機農場を核とするホストと、そこで手伝いたい、学びたいと思っている人とを繋ぐシステムです。
さなえさんの畑にやってきた人たちは、これまで海外からの参加者が半分を占めるとのこと。そこで日本の「いただきます」と「ありがとう」の心を教えているのだそう。
今夜のメニューは、トマトと赤レンズ豆の揚げ団子、藍と甘酒のドレッシング有機園のサラダ、オクラと胡瓜のピーナッツ味噌和え、ピーマンのグリルと焼き茄子のスパイス醤油、ジャガイモのポタージュ胡瓜のソース添え、そしてオクラの花のトマトむすび。
はじめて見るオクラの花は大きな白い花びら。その花びらが巻かれたおむすびには、春の旅で訪れた福岡県の津屋崎で作った、だいだい酢をつかった餡がかかっていました。
冬の寒さが残る津屋崎の仄暗い台所で、丁寧に橙を搾るcayocoさんの後ろ姿と、ほのかに甘い香りが乗った春の風を思い出し、料理を通して旅のバトンが繋がっていることに、心の奥が静かに震えました。
誰かの想いを運ぶ手紙
「おいしいね」「おいしいね」。誰かとそう言いながら食べるごはんは、人の心をひたひたと満たします。たくさんの料理が並ぶテーブルを囲みながら、その言葉と笑い声があちらこちらで聞こえてきました。
“food letters”
cayocoさんがつけたその言葉は、cayocoさんがつくるごはんそのもの。誰かの想いを運ぶ手紙のように、料理を通して想いを届ける。今夜の怒涛の準備も食卓の笑い声もまた、cayocoさんは次のごはんへと繋げていくはずです。
<つづく>
写真:浅田剛司
<つづく>
この特集の目次
- 旅のはじまりは、国内初有機オリーブ栽培に成功した小豆島・山田オリーブ園へ
- 観光客の声で美味しくなる?ヤマロク醤油の常識の真逆をいく醤油づくり
- 「みてやらないかん」の心が映る、塩屋波花堂の驚くほど優しい味の塩
お知らせ
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